宮本です。
暑い日が続く中、皆様いかがお過ごしでしょうか。夏は始まったばかりと言いますが、加減も知ってもらいたい昨今。
この文章は特に何も考えずに打ち込んでいるので、今日がどんな内容の記事になるのかはわからないんです。すまないと思っている。ネタがないのにブログを書くな? 違うね。今日はなんだかキーボードがちゃがちゃしてターンッてしたいからブログを書くのさ。だからドールさんたちが登場するかは、私の脊髄に聞いてくれたまえよ。
Twitterではさ、定期的に古いゲームの話題が出てきますよね。出てくるタイトルからして、みんなひょっとして同世代かそれに近いのかな?って思っているわけです今日も。宮本です。
子供の頃にやったゲームって結構記憶に残るもので、内容によっては人生観変わるくらいにハマり込んだやつもあれば、二度とやりたくないなこんなクソゲー(3分後にリトライ)っていうのもあると思います。
私にとって思い出深いゲームというのが、かの有名なSEGAから発売された最後のゲームハードになってしまった『ドリームキャスト』です。
Vジャンプで連載していた『犬まゆげで行こう』で石塚さんがクレタクやるために買ってきたハードですね。その時の「ゲームハードなんて、やりたいゲームができた時に買えばいいんだ」的なニュアンスの言葉が胸の中に深く残っています。だからswitch2はまだ買わないよ、まだ。
んで、お年玉全額費やして買ったドリキャス。運よく新古品が中古ショップに置いてあったのを見つけて買ったものです。箱に湯川専務の写真が載ったオレンジのやーつー。
ドリキャスと一緒にどんなソフト買うのかと悩んでいたのですが、当時すごくキモいCMだってことで知る人ぞ知っていた『シーマン』を選びました。なんでやねん。
シーマンはわかりやすく言うと『人の顔がついた喋る変な魚を育成するゲーム』です。
当時としては超技術だった『音声認識デバイス』をコントローラーにブッ刺し、喋る魚とプレイヤーが言葉でコミュニケーションをとりながら進めていく、時代の最先端だったんです。今考えたら誰がやるんだこんなゲーム。
つまり気持ち悪いピカチュウげんきでちゅうと言えましょう。
私は自分用のゲームハードと言えば、ゲームボーイかワンダースワンでした。据え置き機は兄の持ち物で、私はゲームさせてもらえず、たまに兄に言われてサンドバッグになるか、リアルで暴力を振るわれるものでした。私にとってのゲームとはあまり楽しいものではなく、携帯ゲーム機のみが私の世界だったんだ(オタクにとっての義務教育FF、DQ、テイルズをやっていない。虐待だろこれ!!!!)。
だからドリキャスは私にとっての初の据え置きゲーム機であり、私だけの最新ゲームハードだったのです。
そうして買ったゲーム『シーマン』に、兄は興味を示しませんでした。逆に暗い部屋でシーマンに話しかけてる弟を見て心配してたらしい。余計なお世話ですね。
シーマンとの生活は初めての体験ばかりでした。
卵から生まれたたくさんの稚魚たちが、水槽内に突然現れたデカいイカに食われ出した時は「ああアアアアアアッッッ」ってリアルに叫んだのを覚えています。イカに食われないように稚魚たちを水槽叩いて誘導したりしましたが、結局全部食われて意気消沈の宮本少年。
数分後、満腹だったイカが突然血を吐いて苦しみ出すと、腹を食い破ってちっちゃいシーマンたちが大量に現れたのです! 「うおおおおおおお!?!?!?」って叫んだ。
最初の子供シーマンって、声色が高くて少年っぽいんですよ。でも日本語を話せず、知らない言語でずっと何か言ってる。それがおもろくてなー。
シーマンはリアルタイムで時間が進んでいくので、水綺麗にして、餌やりしていくと30分くらいでやることがなくなるんですよ。なんだかわかんない言葉を話す小魚との生活が少し続きました。
少しすると、あれだけいた小魚たちも徐々に減っていってしまいました。残念ですが淘汰されたのでしょう。
小魚だったシーマンも大きくなって、声も野太いおっさんになりました。
少し前から日本語を話すようになっていたので、この頃の会話がなんだか楽しかったような記憶があります。こちらから話しかける必要はなくて、向こうから話しかけてくることもあリマした。向こうの話し方はおっさんですが。
ある日、水槽を眺めていると、泳いでいたシーマンの体に別個体のシーマンの頭の触手が突き刺さって、刺された方は死んでしまいました。
最初は何が起こったのか理解できませんでしたが、それが共食いだと言うことに気づいた私は焦りました。腹が減ると共食いしちゃうんだ! 餌あげないと!!
共食いのシーンがあまりにも強烈だったため、それを阻止しようと奮闘したわけですね。おかわいいこと。
このシーマンというゲーム、おっさん声で喋る変な魚を育てるアホなゲームですが、やけにリアルな部分もあります。
餌が補充されないのです。
正しくは、最初にもらった餌を使い切りそうになったタイミングで、餌を調達する方法を教えてもらうのです。
それが「虫カゴ」です。
カゴの中には幼虫がいて(こいつにも人間の顔がついてる)、そいつらは羽化して成虫になると卵を産み、幼虫を増やすことができます。
その幼虫を餌にするわけですな。
共食いを阻止しようと躍起になる宮本少年は、切らさないように注意していた幼虫を全てシーマンにあげてしまい、完全に餌がなくなってしまったわけであります。絶望。
どうしよう詰んだ。
しかし宮本少年は思い出しました。
クラスの中に実は私以外にシーマンを育成しているクラスメートがいたことを。
ノリオくんです。
早速電話をかけてみます。当時はスマホなんてなかったので、もちろん家電ですよ。
宮「あ、もしもし、宮本ですがぁ。ノリオくんいますかぁ?(語尾を伸ばすな) ……あ、ノンコ(ノリオくんのあだ名)? シーマンのさー、幼虫の卵ってめっちゃある? ……あるんだ、すげえな。それ何個かくれん? え、いいの。サンキュー!」
って感じで、ノリオくんから幼虫の卵をもらう約束を取り付けました。
どうやってデータもらうのって?
ドリキャスにはね、驚くべき超技術があるんです。
ドリキャスのメモリーカードは液晶画面が付いていて、それ自体が小さな携帯ゲーム機みたいな形をしているんですよ。しかも本体同士を繋げてデータの交換もできる! ビジュアルメモリ最強! 電池切れ早すぎる! 起動するたびに「ピィぃぃィィィィィwwwwww」ってうるさすぎる!
そんなわけで、自宅とノリオくんちのちょうど中間あたりで待ち合わせして、ビジュアルメモリをドッキング! 宮本少年は無事に幼虫の卵をゲットすることができたのです。
むしろこの出来事がなかったらシーマン全滅していた可能性もあるから、ノリオくんには感謝してもし切れない。ありがとよ、ノンコ……!
こうして餌不足を解消できた宮本少年のシーマンはスクスクと育ち、手足が生え(?)、丘へ上陸し、両生類🐸へと進化できたわけでありますよ。
この段階になるとシーマンが昔話というか、多分自分の記憶みたいなの(そんな感じに思った子供の頃)を独白してきたりして。
やがてシーマンからお願いされます。
「水槽の上の輪っかを引っ張ってくれ」的な感じのこと。
なんでか吊り下がっている輪っかを引っ張ると、水槽が展開! 背景の壁が稼働! そこに広がっていたのは、雄大な自然!!!!!!!!
そこで気づくわけです。
「あ、これでお別れなんだ」って。
シーマンは軽いノリで「ありがとよ」的なことを言い残して、森の奥へと飛び跳ねていきました。宮本少年はその小さくなる背中をずっと見ていました。変な顔のついた生き物でしたが、リアルタイムで過ごした時間はそう短くはなく。めちゃめちゃ寂しかったのを覚えています。
もう誰もいなくなってしまったテレビ画面に向かって、宮本少年は「シーマン……」と呟きました。
すると普通に画面の奥からぴょこんぴょこんと飛び跳ねて、ドヤ顔のシーマンが近づいてきて。
「呼んだか?」
私はこの変な生物を育てる変なゲームを、一生忘れることはないでしょう。
ちなみに水槽をタップするボタンをリズミカルに押していると、エンディングテーマっぽいのが流れてきてシーマンが楽しそうに踊り始めます。
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以上が私の忘れられないゲームの思い出です。
リアルの知り合いの中でシーマンを野生に解き放ったという経験を持っている人がいないので、ネットの海に聞いてみます。
シーマンのエンディングって、こんな感じだったよね?
補足ですが、シーマン発売から数年後に続編となるシーマン2が発売されました。
今度は北京原人を育てるゲームであり、そこにはお助けキャラとして、前作シーマンで野に解き放たれた後に「鳥」にまで進化したシーマンが現れるそうです。
私は未プレイですが、プレイ環境のある人はぜひプレイして、感想をお聞かせください。
以上、駄文でした。
ご安全に!!